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| 「もうすぐ明石海峡です。暗くなったし、橋がどうなっているのか分からないので、レーダーも使って航行しましょう」 船長がそう告げて、船は少しスピードを落とした。船橋に広げた海図を見ながら、航海士と私とで今後の進路を考えた。万一橋が倒れていても海峡全てをふさぐことはないだろう、ということで、私達は海峡の真ん中、つまり海図に示された所定の航路通り進むことにした。それでも万一橋が倒れてきたら、大きな波が襲ってきて、私達の船は危ないかもしれない。誰も一言も言わないけど、何となく艦橋の全員が同じ思いを持っているようだった。 やがてレーダーの画面に、本州の反対側に島影が映ってきた。淡路島だ。するとここに映っている二つの点が淡路海峡大橋というわけか。どうやら橋脚はちゃんと立っているらしい。 「航行規制もないようですから、このまま進むことにしましょう」 船長はそう言って、少しだけ船のスピードを上げた。 すると、レーダーの画面上部からしみのような白い模様が広がり始めた。こちらが向かう方向ということもあるが、明らかにこの影は形を広げながら動いているようだ。 「船長、これはなんですか?」 「さあ、私もあまりこういうのは見たことがない。船のレーダーはあまり高い空を映さないから、雲ではないと思うんだけど。まあ、そのうち分かるよ」 船は明石海峡を通過しようとしていた。明石側は街の明かりが見えたが、淡路島側はほとんど真っ暗だった。ひょっとして地震の被害なんだろうか? 次第に不安になってきた。 明石海峡大橋の橋脚はちゃんと立っていた。暗闇の中なのではっきりとは見えないが、大きな損傷もなさそうだった。赤い航空灯がぽつんと輝いていた。その側を通過する頃には、レーダーの白いしみは前方全てに広がろうとしていた。 しばらく航行してから、船長が唐突に外を指さした。 「レーダーのしみはあれじゃないかなぁ? ほら、空のあそこ、星が見えない」 よく見ると、前方の空に星が全く見えない部分が広がっている。すっかり夜になっていたが、それが雲でないことはすぐに分かった。何か別のものが空を覆っているようだった。ただ、ここからはそれが何なのか、見当もつかなかった。 船が舞子のあたりまでくると、海岸沿いの様子がなにかおかしいことに次第に気づいてきた。自動車のヘッドライトが途切れることなくずっと続いていた。所々に明かりが全く見えない建物があって、それは停電しているのかもしれなかった。これはすごいことになっているのかも、と思っていると、再び船長が外を指さした。 「前の空、様子が変だね」 前方の空は、黒地に黄色やオレンジの模様が広がっていた。突然私は真相に気付いた。あの黒いのは煙で、地上の火事の炎が照り返しているんだ! 「船長、あれはきっと火事の煙ですよ」 「多分そうだろうね。さっきから何だか焦げ臭いと思っていたが、やっぱりあれは火事の煙か」 言われてみて初めて気づいたが、潮の香りの中に、確かに焦げた臭いがする。さっきからレーダーに映っていた影は、まさに長田の大火災の煙だったのだ。 須磨浦の林を通りすぎると、いよいよ左手に市街地が広がってくるはずだった。その姿が見え始めたとき、私達は驚きで声も出なかった。 陸の上は炎の狂宴だった。あちこちに上がる大きな火の手。そこから沸き上がる黒い煙が海の方へ流れて来ていた。いまや船の上の空は煙に覆い尽くされ、レーダーの画面は全体が真っ白に輝いていた。 祖母が言っていた原爆の日の広島の夜ってこんな感じだったんだろうか、と私は考えていた。確かにあれは火事なんだけど、猛々しさと同時にどこか非現実的な、異様な美しさをたたえて燃え盛っていた。こんなにたくさんの炎を一度に見たことは、これが生まれて始めてだった。不謹慎だけど夢の中にいるみたいだと思った。 客室に降りると、テレビがつけっぱなしのまま、全員が左舷の窓から外を食い入るように見つめていた。長田に親類がいると言っていた数名の方は、もう泣き出さんばかりの表情で、顔を見るのも憚られた。誰かが「空襲ってこんな感じなんだろうな」とポツリと言ったが、それに応じる人はいなかった。 今にして思えば、私たちが見ていたまさにその瞬間、長田の火災現場ではまさに地獄絵が展開していたのだった。でも、あの時の私達は、そこで生死をかけた極限の時間が流れていることなど知らなかった。ただ、そこに広がっているあまりにも非現実的な火事の様子を眺め、皆が無事でいますように、と祈るしかなかった。誰もが無言のまま、ただじっと窓の外を見つめていた。 船はそのまま東へと進んでいた。夢のような火事の光は次第に後ろに遠ざかっていったが、レーダーの画面は、まだ白い部分が相当残っていた。 |