一瞬のごあいさつ

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一瞬のごあいさつ--只見線 2002.5--

関西から鉄道だけを使って東北に向かうのは、かなりの長旅です。米沢からふらふらと会津若松にたどり着いた私は、もぐりこんだ宿で時刻表を眺めながら、せっかくの機会だから只見線に乗ってみようかと思い立ちました。
只見線。最近でこそ夏場にはSLが走ったりして、東日本の方には名が知られるようになったかもしれませんが、全線を走る列車が1日に3往復しかないこの路線は、西日本からはどうやっても最低1泊しないと乗ることができません。そもそも奥会津ってめぼしい観光地なんて聞いたこともないし、ぜんぜんイメージがわかない。
しかし、ご存知の方も多いでしょうが、時刻表によると冬期に運休する列車があるほどの豪雪地域を走るようです。5月のはじめ、果たしてどんな景色が広がっているんだろう、と興味がわいてきたのです。せっかくだから、沿線のどこかで1泊してのんびり回ろうか、と適当に予定を立てて、私は眠りにつきました。
翌朝、会津地方は今にも雨が降りそうでした。レンタサイクルで市内を観光した私が会津若松の駅に戻ってきた頃には、もうすっかり本降りになっていました。私はお昼過ぎの列車に乗って、かろうじて見つけた民宿がある只見駅を目指すことにしました。

2両編成のその列車は、意外にも地元の人たちで結構込んでいました。私にはぜんぜん理解できない会津弁が飛び交う車内は、お年寄りと高校生の喧騒に満ちていて、言葉を別にすればとてもローカル線とは思えない賑やかさです。窓の外は、これが晴れていれば絶景に違いないはずなのですが、線路沿いに流れる川面すら霞むほどの猛烈な雨で、何も見えません。私はほとんど異国の言葉としか思えない会話をBGMに、所在なげに座りながら窓の外の乳白色の景色を眺めていました。
こんな所にあって誰が利用するの? というような場所に駅があり、そこでちゃんと乗り降りがあります。いつのまにか車内ががらんとなり、さらに長い間走って、列車はようやく只見駅に到着しました。ざぁざぁと傘を叩く雨音が恐ろしいほど響きます。数人のお客と改札を抜けると、そこに民宿のご主人が待ってくれていました。
「大雨の中、よくこんな田舎まで来てくれました。晴れていればいい景色なんですが…」とご主人は恐縮しながら私を宿まで案内してくれました。小川から畑一つはなれたところにあるその宿は、昔ながらの立派な茅葺屋根の田舎屋で、聞けばご主人はこの家が売りに出されていると知って、奥さんと一緒に横浜から移ってきて、民宿を開いたとのことでした。
別に何の観光地があるわけじゃない。ただ奥深い田舎の昔ながらの農村の風景があるだけなのですが、なぜか私はこの場所が気に入りました。横の畑で取れた野菜で作った、ごく普通の料理を美味しくいただきながら、私はこの夫婦が横浜から奥会津に越してきた理由が分かったような気がしました。轟々と流れる川の音を聞きながら、私は心地よく眠っていました。

翌朝、どうやら雨は上がったようです。窓から外を見ると、まだ雲は低いけど空は十分に明るく、これなら午後には晴れそうです。小出に向かう列車に乗るため、私はご主人に只見駅まで送っていただきました。
改札で私がお礼を言うと、「いえいえ、雨で景色が悪くて残念でした。よかったらまたこの時期に来てください」とまだ恐縮されています。列車が間もなく到着するので、ご主人と別れ、私は改札を抜けました。
会津若松からの列車はもうすぐやって来ます。私は列車の来る方向を向きながら歩いていましたが、ふと気がつくと、民宿のご主人が駅舎の横から手を振ってくれています。私も手を振り返そうとすると、ご主人はもう一方の手で「あっち、あっち」と指差しています。そちらを振り向いた私は、思わず「あっ!!」と歓声を上げました。昨日ぜんぜん見えなかった只見駅から小出方面に向かう先には、はるか彼方に雲の合間を縫って、残雪が気高く輝く朝日連峰の山々が悠然とそびえていました。
私はホームに向かうのも忘れて、しばらくその姿に見とれていました。ようやく歩き始めた私は、線路の先、除雪車の倉庫の向こうに見える山々が一番美しいことに気づきました。どれぐらい眺めていたのでしょう、私が気づくと、宿のご主人はまだ私を見守っています。私は両手でOKサインを作って、そのまま思い切り手を振りました。ご主人は満足したように頷いて、私に手を振り返して、去っていかれました。
ホームに立った私は、まだ残雪の山々を眺めていました。やがて、タブレット交換をするためにホームにやって来た駅長さんが、私に語りかけてきました。
「お客さん、きれいでしょう」
「ええ、これはすごいですね」
「この景色を見てもらわないと、只見に来てもらった意味がないですから。お客さんにそんなに喜んでもらって、民宿の人も嬉しそうでしたよ」
駅長さんはにこにこ笑いながらそう話してくれました。その笑顔も、私にはとてもきれいに見えたのでした。列車のドアが閉まり、駅長さんは列車と私に向けて敬礼してくれました。私はニコニコ笑いながら手を振りました。


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